LOGIN学園の卒業が近づいてきた。卒業と同時に結婚する同級生たちもいる。楽しそうに未来を語る様子を見ていると、マールトンとの婚約が続いていたら、自分もあの輪の中にいただろうか――そんなことを考えた。けれど――と、すぐに首を振る。いや、もしそうだったとしても、楽しくはなかっただろう。カタリンがそばにいたら、何かと邪魔されて、人の輪に入ることさえできなかったに違いない。結婚する予定がないということに、ほんの少し寂しさを覚えただけだ。だから、彼との婚約がなくなった今の方が、ずっと幸せなのだと再認識する。そんな気持ちは口にせず、事件のあとにできた友達と卒業試験の話をする。目の前のことに集中しよう。一回目には断ち切られてしまったわたくしの未来が、これからも続いていくのだから。そんなある日のことだった。「明日は来客があるから、イロナは外出しないように」夕食の席で、父がそう言った。「どなたがいらっしゃいますの?」普段なら母が尋ねるところだが、何も言わないので、わたくしが父に質問した。「明日になればわかるよ」思わせぶりな口調だった。父の表情を見る限り、悪い話ではなさそうだ。そんなふうに呑気に構えていたわたくしは、翌日、花束を抱えて訪ねてきたガーボルを見て、目を丸くすることになった。「嘘……何、それ」「求婚しに来ました」驚いて何も言えずに立ち尽くすわたくしを見て、父が苦笑いした。「おほん。ガーボル・ヴェレシュ卿。そのような紹介は私の役目ですし、今日はあくまで見合いです。いささか気が早いかと」ガーボルは真っ赤になり、父に謝罪した。「え? 卿って……?」話を聞けば、わたくしとお見合いするため、この半年ほどで魔術爵を得ようと頑張っていたという。だから、連絡をする暇もなかったのね。そう知らされて、嬉しいという気持ちはある。けれど、それ以上に、どう表現していいかわからない感情で、ぐちゃぐちゃになっていく。二回目の人生が始まった一か月間は、怒る出来事がある程度予想できた。けれど、それも事件を乗り越える時点まで。その先は、何が起こるのかわたくしにはわからない。みんなと同じように、「まだ見ぬ日々」を生きていく。ただ、それだけだのことなのに。怖くて堪らなかった。そんな気持ちを、事情を知っているガーボルに聞いてほしかった。一緒に悩んで、一緒
わたくし、イロナは二年生まではマールトンの婚約者として、いじけた日々を送っていた。カタリンには、いつから憎まれていたのだろう。彼女がマールトンを好きになる前からか。それとも、好きになったから、わたくしが邪魔になったのか。考えても答えは出ない。婚約者だったマールトンに嫌味を言われたり、無視されたりするのは辛かった。何をしても否定されているような気がして、どんどん自信がなくなっていった。いつの間にか、気が緩むと背中を丸めがちになり、廊下を歩くのも気が重くなっていた。教室でわたくしの名前が出ると、何か失敗したのか、また笑われるのかと身構える。そんな中で、カタリンが笑顔で話しかけてくれるのが救いだった。友達って、ありがたいなと心の底から感謝していた。けれど、それもわたくしを貶める前振りのようなものだった。親切そうな言葉で、わたくしに恥をかかせる。カタリンは心配そうな声を出し、他の人たちがクスクス笑う。わたくしは笑って誤魔化すことしかできなかった。自分でも、笑顔がぎこちなくなっていくのを、心の隅で自覚していた。認めたくなくて、見ない振りをしていた気持ちを……。そして、三年生の始めに毒殺未遂。いいえ。前回は、未遂ではなく、そこで人生が終わってしまった。今回は違う。ガーボルの手を借りて、わたくしは生き残った。殺されるという恐怖と、未来を覆そうとしている緊張感。手探りの中、一緒に考えてくれる人がいる頼もしさ。あの一か月は、今までの人生で一番濃い時間だった。あの高揚感は、今後の人生でも二度と味わえないかもしれない。危機が去ってしまえば、あの夜も眠れないほどの不安も、いつかは思い出に変わる。そう思っていたのに、何か物足りない。達成感のあとの虚脱――それもあるだろう。だが、それ以上に、ガーボルと「回避できて良かった」と喜びを分かち合いたい。そう思ってしまった。けれど、事件の直後は、詮索されないために連絡を控えていた。時を戻すという禁術を行使した魔術師が、ガーボルだと知られてはいけないから。そして、事件から一か月。捜査が一段落した頃に、ちょうど魔道具の具合が悪くなったのでガーボルを呼び出した。応接室に彼が修理道具を抱えて入ってきた瞬間。どれほどほっとしたことか。歓喜の表情を押し殺すことが、難しかった。人目がなければ
イロナが最近変わった?生意気にも、頼んだ課題をやらなかった。そのせいで、マールトンと一緒に先生に叱られたじゃない。まったく、ふざけてる。それに、マールトンに何か言いたげに、おどおどしていたのも……ちょっと変わった気がする。以前なら、縋るような目で彼をみていたのに。今は違う。まるで「話しかけるな」と言わんばかりの雰囲気を出している。どういうこと?でも、幸いにして気のせいだったみたい。数日で、元のイロナに戻った。資料集めを頼めばやってくれたし、イロナが読みかけていた小説も先に読ませてくれた。私はちゃんと本を返すんだから、問題ないわよね。「友達のいないあなたと、一緒に行動してあげる」そう言って、マールトンと一緒にいられないときだけ、そばにいてあげる。いつも通り。ただ、最近はマールトンの方がイロナと接触しようとしている。不愉快だわ。結局、学園に通って基本のマナーを教わったところで、貴族社会では通用しない。圧倒的に足りないのだ。何か失敗すれば笑われて「あら、それは常識以前のことかと思っていたの。言葉が足りなくて、ごめんなさいね。では説明するわ」なんて、親切そうに微笑まれる。あれはもう、辱めでしかない。貴族たちには暗黙の了解が多すぎる。たまに生粋の令嬢でさえ「それは知りませんでしたわ」なんて言っているのだから、果てしない世界なのだ。どうしたらいいの?そんなことを考えた末に、私はひとつの答えを出した。私に逆らえない人たちを作るしかない。その上に立ってしまえば、少しは息がつける。手段なんか、選んでいられないでしょう?そう考えたら、早々にイロナを確保したのは我ながら英断だった。課題も、資料集めも、わからないことは彼女に聞けばいい。失敗はさりげなく彼女のせいにして。そして、陰からさりげなく手を貸してくれる男子を何人か確保した。これで、悠々自適な生活が手に入って。――そう思っていたのに。生理が来ない。最初は、明日には来るかもと思っていた。ちょっと遅れているだけ。それで一週間。あっという間に、二週間。さすがに、本格的にヤバイ気がしてきた。父親が誰なのか、わからない。一番爵位が高いのがマールトンだ。他の男たちは、彼がいつまでも経ってもイロナと婚約解消してくれないから、遊んだだけ。だから――マールトンと
初めてイロナに会ったとき、ぼんやりした子だと思った。学園に入学したものの、成り上がりというだけで、私を見下す貴族ばかり。そんな中で、イロナは見るからに人が良さそうだった。利用できると思って、友達になった。彼女を貴族社会に引き戻そうとする女の子たちは、当然蹴散らした。そのイロナの婚約者が伯爵家の令息だという。いいじゃない。奪い取ってやる。そう思った。そのマールトンと仲良くなってみると、イロナにノートを借りたり、課題を手伝ってもらったりしている。「じゃあ、ついでに私の分も」なんて頼んでみたら、あっさり引き受けてくれた。驚いたわ。イロナをのけ者にして、マールトンと二人で行動することを徐々に増やしていく。堂々と二人で登下校したり、昼食のときに、わざとイロナがわからない話題で盛り上がったり。それだけで、不思議と気分が浮き立った。初めのうちは、イロナに嫌われないよう、さじ加減に注意を払っていた。けれど、鈍い彼女は少しも疑わない。そうすると、気を遣っているのが馬鹿らしくなってきた。そうしたら、「距離が近すぎる」とイロナに注意された。気がつくのが遅すぎる。そのときに、私たちがそろって不機嫌になったら、イロナはすぐに意見を撤回した。そんなことなら最初から言わなければいいのに。「もう、イロナを無視してやったらどう?」「ああ。そうしたら、自分が出しゃばったことを反省するか。大人しくなって、いいかもな」マールトンは、イロナよりも私といる時の方がずっと楽しそだった。「これはいける」――そう確信した。それなのに、彼は手を出してこない。出会ってから二年も経つというのに、貴族はお行儀がいい。年頃の男なのに、妙に堅物だった。男女の仲にさえなってしまえば、あとは簡単。そう思って、最初は少し強引に関係を持った。これで、マールトンは私のもの――そう思った。それなのに、マールトンはいつまで経ってもイロナとの婚約を解消しようとしなかった。「婚約というのは、そんなに簡単に解消できないんだよ」そう言いながらも、マールトンは私を抱く。私はマールトンが初めてだったけど、一度体を開いてしまえばあとは気楽なもの。マールトンが煮え切らない苛立ちを、ほかの生徒で埋めていくことにした。「はしたない」と私を批判しながらも、男たちの視線は胸に釘付けになっている。
今日、春期大競馬会が開催される。わたくしは、とても落ち着いてはいられなかった。きっと、マールトンが応援している騎手が優勝する。そうなれば――明日は、前回のわたくしが毒殺された日だ。授業を受けていても、まったく頭に入らない。授業が終わって馬車に乗り込むと、座席にはひしゃげた造花が置かれていた。魔術師ガーボルと初めて会った日に、彼が持って来た「色とりどりの花が咲く」魔道具だ。「魔道具を持って来てくれてありがとう。修理してもらいたいから、お店に寄ってくれる?」わたくしは平静を装いながら、御者にそう指示を出した。「ですが、あの辺りは馬車で入れませんよ」「フードを被っていくわ。少し待っていて」大通りで馬車を降り、わたくしは路地へ足を踏み入れた。こんな場所を歩くのは初めてだ。心臓がばくばくと音を立て、全身の血が熱くなるのを感じた。目的の店には、薄汚れた小さな看板が揺れている。窓ガラスは曇り、壁には苔が貼り付いていた。間違いないはずなのに、扉を叩くだけで勇気がいる。けれど、このまま立ち尽くしているのも恥ずかしい。思い切って、扉を叩いた。顔に熱が集まる気がする。心の中では「た、叩いてしまったわ」と、もう一人のわたくしがいるかのように、はしゃぎ回っていた。ところが、反応がない。もう一度、今度は強めに叩いた。カチャ。ドアノブが動く音がした。「え? イロナ様?」ガーボルが驚いた顔を見せた。初めて会ったときのようにだらしない姿ではないけれど、最近見慣れた爽やかな姿とも違う。シャツは少しよれていた。「嬉しいけど、人に見られたら……」「魔道具を壊して持って来ただけの、ただの客よ」わたくしは抱えていた魔道具を差し出した。「そ、そっか。じゃあ、そこに座って」ガーボルは背もたれのないスツールを勧めてくれた。「……不安になっちゃった?」ガーボルは手早く修理を進めながら、穏やかに話しかけてくれる。「そうなの。ごめんなさいね。明日の打ち合わせはもう終わっているのに……」そう、迎え撃つ準備は整っていた。マールトンの部屋に毒の材料を仕込んである。わたくしはただ心細いだけなのだ。カタリンにも今まで通りに接するよう心がけてきた。前回と同じように、優しげに聞こえるけれど、よく考えてみれば棘を含んだ言葉に耐え続けた。カタリンの苛立ち
時を巻き戻せた。学園でカタリンと出会う前まで戻れることを期待していたが、実際にはイロナが死ぬ一か月前だった。仕方ない。たった一月だが、生前に戻れたのだ。そう考えたところで、嫌な可能性に思い至った。もし巻き戻った先がイロナの死後だったら――背筋が冷たくなった。イロナが亡くなってから、時を巻き戻そうと思いつくまでに三年以上もの時が経っていたのだ。……危なかった。思わず冷や汗が出る。あの魔術師め。まあ、こうして生きているイロナに会えるのだから、文句を言っても仕方がない。これから先のことを考えよう。さて。この頃の俺は、カタリンと蜜月の関係になり、イロナを邪険に扱っていた。もっと前まで戻れていたら、普通に接することもできたのに……。今さら急に態度を変えるのも格好がつかない。しかし、久しぶりに学園に行くのは、少し楽しみだ。当時の勉強は面倒だったが、出された課題をこなせばすむ、ある意味では気楽な時代だった。卒業して家業を継ぐ勉強に入ると、正解のない問題ばかり突きつけられる。考えても答えが見つからず、父上も正解を知らないようだった。終わりが見えず、疲労感が果てしない。……まあ、俺が継ぐのはまだ先だ。真面目なイロナと、その実家の銀山があれば、俺の代になったら楽にやっていけるだろう。イロナなら、カタリンのように散財しないだろう。家計の心配をしなくて済むだけでも、気が楽だ。……おや?乗り込んだ馬車が、学園とは違う方向へ進んでいる。「おい。どこへ向かっているんだ?」御者に声をかけると、不思議そうな声が返ってきた。「はい? いつもどおりカタリン・ヴァッシュ様のお屋敷ですが」「……そうか」ああ、そうだった。この頃の俺は、婚約者のイロナではなく、カタリンと登下校していたのだった。今思えば、おかしなことをしていたものだ。これを機に、イロナと登下校するように変えたらどうだろう。きっと彼女は目を潤ませて喜ぶはずだ。だが、そのためにはカタリンを説得しなければいけない。そんなことを考え事をしているうちに、馬車はカタリンの屋敷へ到着した。「マールトン。おはよう」カタリンは馬車に乗り込むなり、さっそく俺の腕に絡みついてきた。柔らかな胸が腕に当たる。そうそう。行き帰りの馬車は、こうでなければ。登下校はこのままでいいだろう、うん。教室







